ココシャネルの人生とその生涯

ココシャネルの人生とその生涯
紹介ブログ CHANEL(シャネル)

スタッフブログココシャネルの人生とその生涯

ありがたや 西大島店 スタッフ

世界を代表するラグジュアリーブランドであるCHANEL(シャネル)。

その創業者であるココシャネルについて今回はご紹介してきます。

創業者であるココシャネルってどうな人?

世界的なトップメゾンとして輝かしいシャネルですが、その背景には彼女の生涯が深く関わっています。そして彼女ほど、波乱万丈な人生を歩んだブランド創業者はいないかもしれません。

エピソードや逸話を知れば知るほど、シャネルや彼女についての興味深さは増していくばかり。シャネルの歴史は彼女の生きた証でもあり、ココシャネルを語らずしてブランドヒストリーは語ることはできません。

まずはココシャネルの生い立ちや人物像を深く掘り下げたいと思います。

●ココシャネルの生い立ち

ココシャネル(本名:カブリエル・ボヌール・シャネル)は1883年にフランスのソミュール地方で生まれました。母親は死去し、父親は行商として出稼ぎに行っていたため、姉妹とともに救護院や修道院で育ったといいます。

オーバジーヌという孤児院にいた時は6年間裁縫を習い、18歳で施設を出るとお針子として働くようになりました。また、美貌を持っていた彼女は芸能にも興味を持ちキャバレーで歌うこともしばしばあったようです。

貧しく恵まれない環境で育った彼女ですが、インタビューなどで家族や自身の生い立ちについて詳しく語ることはなく、今でも出自や育ちについては謎めいています

名だたるハイブランドの創業者たちは貴族階級の生まれが多い中、ココシャネルは孤児という恵まれない環境から一代でシャネルを世界的ブランドに成長させました。

女性の社会的地位が低かった時代に、女性ひとりでゼロから大成功をおさめたのは正に超人と言わざるを得ません。

●恋多き女性。ココシャネル

ココ・シャネルは生涯独身でしたが、多くの恋愛エピソードや愛人の噂があります。これらもまた後世で語り継がれる彼女のゴシップとなりました。

しかしながらこの色恋関係が、シャネルというブランドを大きく成長させたのは間違いありません。

ブランドを展開するには人脈や資金力が必要不可欠です。

1909年に彼女が初めて持った帽子店シャネル・モードも、当時交際していた繊維業者の息子であり資産家のエルティエンヌ・バルサン、またその友人のボーイ・カペルからの資金援助により実現しました。

バルサンは彼女の芸能への夢を諦めさせファッションの才能を見出した人物で、カペルは資金援助とともに店を持つという選択肢を与えてくれた存在です。

またカペルが結婚をした後も長きに渡って関係を持っており、1919年に彼が事故死した際には現場に記念碑を依頼するほどだったようで、特別な親密さが伺い知れます。

●ココシャネルはナチスのスパイだった?

あまり知られてはいませんが、ある男性と付き合ったことをきっかけに彼女は逮捕されてしまったのです。諸説あるスパイの話題は、公に詳細が語られることが少ないようです。

この出来事は第二次世界大戦中のこと。彼女の故郷フランスはドイツ軍の占領下におかれていた時代です。

既にシャネルのブランドは、女性の為のジャージードレスのヒットや、伝説の香水「No.5」などを世に出しており、ファッションブランドとしての地位を確立していました。

No.5はピエール・ヴェルテメール氏が設立した香水会社に製造販売権が譲渡され、シャネルの香水はアメリカでも大ヒットします。

そんな中、フランス・パリは第二次世界大戦に翻弄され不況の中にありました。

そしてフランスにいるドイツ軍が居住していた「ホテル・リッツ」に彼女がたまたま住んでおり、ドイツ外交官で諜報員のフォン・ディンクラーゲ男爵の愛人となります。

男爵の表向きは外交官でしたが、彼にはドイツ軍情報部のスパイとして機密情報を探る任務がありました。

男爵がスパイ任務を円滑に、そして有利にする目的で近づいた人物、それが女社長として各界と人脈を持つココ・シャネルだったのです。

イギリス元首相のチャーチルや英国貴族などとの交友関係を持っていたココシャネルを利用するほかにないと男爵は考えたのでした。

また、ココ・シャネルも計算なしにナチスの男爵と関係を持ったわけではありませんでした。

当時世界中で売れに売れていたNo.5」の製造販売権を持っていたユダヤ人、ヴェルテメール一族からその権利を奪うことを彼女は目論んでいました。

既にかなりの知名度だったシャネルの香水ですが、ヴェルテメール一族によるアメリカでのマーケティングによってさらに飛ぶように売れ、ココシャネルの予想を遥か上にいく売り上げを記録していました。

しかし、香水事業から身を引いてしまっていた彼女には何の旨味もなく、むしろ嵌められたとさえ感じていました。

彼女はドイツ軍の権力者であるフォン・ディンクラーゲ男爵と共に、ユダヤ人の財産を禁止する法律を利用し、ヴェルテメール一族からシャネルの香水事業を取り返せないかと画策します。

そしてココシャネルとフォン・ディンクラーゲ男爵はWin-Winの関係を結び、対独協力行為を積極的に行ったのです。

パリの民衆が困窮した生活を送る中、敵国ドイツの肩を持つココシャネルの行為は当然批判の的となりました。そして結果的にドイツが敗戦した後、スパイ行為や政治的関与の罪でついに逮捕をされてしまいます。

しかし逮捕されたのも束の間、即座に解放された後にすぐさまスイスで亡命生活を送るようになりました。

確定的な逮捕に至らなかったのは、自身と交友関係があったイギリス元首相チャーチルによる計らいがあったとされています。

ドイツのスパイ行為を働きながらも、目的としていた香水事業の契約奪還は果たすことができず、ヴェルテメール一族との争いはこれからも続きます。

●スイスでの亡命生活

スイスでの亡命生活は15年にも及びます。

ファッション業界で成功したかのように思われたシャネルでしたが、フランスを裏切る対独協力行為、そして逮捕により立場は一転。

デザイナーとしての活動は難しくなり、実質的に業界から退くこととなりました。

当然シャネルの勢いも落ち、取って代わるようにイヴ・サンローランやクリスチャン・ディオールといった高級メゾンが大流行するようになります。

一方スイスでは悲劇的な亡命生活かと思いきや、著名人と交流したりエステやスパに通ったりと優雅な生活を送っていました。

●ヴェルテメール一族との決着とカムバック

この間シャネル関連の活動はというと、ヴェルメテール兄弟の香水会社「パルファム・シャネル」の権利をめぐる争いです。

長きに渡る経営権争いは法的介入をもって、1947年にやっと双方の和解が実現しました

和解後のヴェルテメール一族はココシャネルの復帰を全面的に支援し、閉鎖していたパリのブティックを再開。

そして昔に制作段階だったツイードスーツを「シャネル・スーツ」として発表します。

しかし15年間もの長い間姿を消していた彼女の作品は、業界からも大衆からもすぐに評価はされませんでした

クリスチャンディオールのニュールックファッションが大流行していたころで、若い人はシャネルを知らない人も多かったようです。

カムバック時は70歳を超え、華麗な復活を果たすことはできなかったものの、再び彼女は独自のファッションを突き詰めるようになります。

●シャネルの時代の再来

シャネルのスーツを着たジャクリーン・ケネディ

カムバックしたものの本国フランスでは不評に終わったコレクションですが、アメリカでは新しいファッションとして好評を博します。

アメリカでは既にNo.5が知れ渡っており、さらにマリリンモンローやジャクリーン・ケネディといった著名人がシャネル製品を愛用していたことなどもあって、一躍シャネルの人気は高まりました。

女性らしいのに実用的で動きやすい、そんなシャネルのスーツはアメリカでは革命的であり、1955年にモード・オスカー賞を受賞する快挙を成し遂げました。

あれだけの非難を浴びてきたココ・シャネルは、シャネルというブランドの象徴やカリスマとして認識されるようになったのです。

当たり前を覆し、女性の自立を掲げたファッションはシャネル・ルックと呼ばれ、マトラッセのチェーンバッグやバイカラーなどシャネルの定番を次々と生み出していきました。

●ココシャネル

完全なる復活を遂げ、モードの女帝として君臨したココ・シャネル。仕事をしないと退屈なのと言い、住まいのホテル・リッツで数々のデザインの仕事をこなす日々でした。

女性起業家として巨万の富を得ていたココシャネルにはお金目当てで近付く者も多数いましたが、心を許せる複数の友人と散歩をしたり食事をしたりと晩年は穏やかに過ごしていたようです。

そんな暮らしをしていたとある日、ホテルで息を引き取っているココシャネルが発見されました。1971年、87歳の時でした。

ココシャネルが生前時に「ローザンヌで埋葬してほしい」と希望していたことから、彼女はスイスのローザンヌで眠っています。

 


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